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ベトナム人技能実習生をめぐる”闇”

令和2年11月14日 北見昌朗

ベトナム人技能実習生をめぐる”闇”

マルフク食品様の自己破産に関連して体験・見聞したことをココに記す。

第1のネックは協同組合

令和2年10月23日 全従業員を集めて解雇を発表した。10月24日からは出社させず、10月30日付の解雇であった。

北見昌朗は、ベトナム人技能実習生のことは最初から気がかりであった。彼らは職を失うだけでなく住む家(社宅)も失うからだ。そこで北見昌朗は、ベトナム人は前列に出て頂き、通訳を交えて話すようにした。その際の北見昌朗の気持ちではこうであった。

(北見事務所の顧客は350社あり、従業員数3万人に及ぶ。その多くがベトナム人技能実習生を受け入れているのだから、顧客に依頼すれば6人ぐらい何とかなる)

だからこのように話した。

「ベトナム人の方には、次の勤務先探しおよび住居確保に取り組みますので、ご安心下さい」

北見昌朗は10月24日、顧客に一斉送信して協力を呼び掛けたところ、すぐ2社から手が挙がった。「はんぺん」の会社である。歓迎の様子で、ホッと胸を撫でおろした。

ところがネックがあった。協同組合(監理団体)だ。マルフク食品様の協同組合をMとして、はんぺんの会社の組合をKとする。

Kは、自社の扱いを主張して譲らない。

Mも、自社の扱いを主張して譲らない。

結局、破談して流れてしまった。

北見昌朗は、「はんぺん」の会社が受け入れてくれたと思っていたので、解決済だと思っていた。それが破談したのを知ったのは、11月10日だった。

(エッ! まだ決まっていなかったの?)

その衝撃は大きかった。だって10月23日から相当の日数が経っていた。11月末で社宅が無くなる。慌てふためき、次の受け入れ先を探すため、顧客に電話を掛けまくった。

次の受け入れ先候補企業が見つかったのは11月11日だった.そこは弁当製造会社だった。その弁当製造会社に入っていた協同組合をO社とする。そこでも

Oは、自社の扱いを主張して譲らない。

Mも、自社の扱いを主張して譲らない。

結局、破談して流れてしまった。

(なんたるこった!)

北見昌朗はもう紹介する気も失せてしまった。

そのM協同組合から北見昌朗に電話があったのは11月13日だった。ようやく次を見つけられたそうだった。

「良かったですね」
と答えながらも複雑な心境だった。

これは聞いた話だが、実習生1人あたり●万円の手数料が毎月組合に入るので、組合も必死なのだ。

ベトナム側の送り出し機関と、日本側の協同組合の間も”特別な関係”になっている模様。

第2のネックは職種

協同組合の問題のほかに手こずったのは職種だった。マルフク食品様は、コンニャク製造業だが「総菜加工業」として入れていた。このため、次の受け入れ先も原則として「総菜加工業」が望ましいのだ。

最初に手を挙げて下さった「はんぺん」の会社は、実は「練り製品」という職種のため、ダメだった。これには驚いた。「コンニャク」と「はんぺん」なら、良いと思ったが、違うのだ。

顧客名簿を見ながら探したが、カット野菜工場もダメだった。漬物製造業もダメだった。弁当のような業種でないとNGなのだ。ここまで限定されるとさすがに探しにくい。

おかげさまで、ようやく次が見つかったが、外国人技能実習生という制度の闇を見た気がした。

夢を持って来日した外国人が、日本嫌いになって帰らないことを願うばかりである。